MY WORK IS A STORY OF CHALLENGE

成長を続ける
医薬品の受託開発・製造領域において、
アジアパシフィックの営業部隊を統括

 

最先端の治療薬の開発をお客さまと二人三脚で進める 

 

ファーマサービシーズ シニアディレクター 谷元浩二


医薬品の開発から配送まで一気通貫で対応

―医薬品製造・開発のアジアパシフィック営業責任者としてチームをリードしていると伺いました。事業内容と現在の職務について教えてください。
サーモフィッシャーサイエンティフィックのメインブランドのうち「Patheon(パセオン)」というブランドにあたる医薬品の受託開発や製造サービスを手掛けています。医薬品メーカーやバイオベンチャーが主な顧客です。細胞・遺伝子治療薬や、バイオ医薬品などの受託開発・製造を担うCDMO(Contract Development Manufacturing Organization)が主なサービスです。Patheonブランドの大きな強みは、開発から製造、包装、ラベリング、配送に至るまでのプロセスを一気通貫で行う体制を整えている点です。特定のサービスに特化した同業他社が多い中で、珍しいと言えます。
Patheon社は、2017年にサーモフィッシャーの傘下に入りました。私は、Patheon社が日本市場の開拓に力を入れ始めた2009年から働いています。当時は私ともう1人の2人体制だったのですが、日本での事業が成長するにつれて社員が増えていきました。その後、アジアのマーケットも広がっていき、今では日本・韓国に加えインド・オーストラリア・ニュージーランドをカバーする営業チームのヘッドという任務を遂行しています。

新卒でコンサルベンチャーへ、転機は?

―谷元さんは海外での生活が長いと聞きました。サーモフィッシャーとPatheon社に入社する前はどんな仕事をしていたのでしょうか。
幼少期の大半を海外で過ごしました。生まれたのは南米コロンビアです。父親の仕事の関係で小学生時代は日本で過ごした後、また南米に戻り、アメリカで高校生活を送りました。日本の大学を卒業後、3次元CADなど製造業のコンサルティングを手掛ける日本のベンチャー企業に入社しました。当時は主要顧客である北欧の携帯電話メーカーが強かった時代で、デンマークに赴任した経験もあります。
その後スマートフォンの拡大とともに市場が中国へとシフトしていきます。当時勤めていた会社も新規事業を模索し、その中の一つが医療機器でした。疾病の診断、治療、予防に使われる機器であるメディカルデバイス領域に力を入れ、私自身も医療や製薬の世界に興味を持つようになりました。仕事を介した知人からPatheon社が日本市場に進出するという話を聞き、この業界に入りました。

―今、谷元さんが統括するアジアパシフィックの営業チームはどのようなチームですか。
国によって交渉の仕方やビジネスの進め方が違うので、営業担当者が直面する課題は異なります。それぞれの国にあった仕事の進め方を把握し、責任者として統括することにやりがいを感じます。アジアパシフィックのメンバーは3カ国に10名います。国は異なりますが、信頼関係を築けているチームです。同じアジアということも影響しているのかもしれません。コロナ禍の前は四半期ごとに集まり、営業・技術トレーニングや成功事例などのノウハウを共有する場を設けていました。アジアの人は自己表現が少ないと言われることが多いですが、チーム内の仲が良く、強いつながりを感じます。

―人材育成で心がけていることはありますか。
チームメンバーに対して、部下ではなくパートナーという意識を持って接しています。私はマネジメントのポジションですが、日々の業務においては対等でお互いをリスペクトすることは非常に大切です。その上で各営業担当の売上を伸ばすために最大限のサポートをすることを意識しています。

―CDMO(医薬品の受託製造)の市場は成長しており注目されています。どんな時にやりがいを感じますか。
病気を治したり、命を救ったりすることに貢献している、それに尽きると思います。なかでも、まだ世に知られていない薬やワクチンなど、最先端の治療薬の開発を初期段階からお客さまである製薬会社と二人三脚で進めることは、非常に価値のある仕事だという自負があります。
また、一つのプロジェクトの予算規模も小さいものでも数千万円、大きなものだと数億~十数億円規模で、スケールの大きさもやりがいにつながっています。

サークルで学んだ「推進力」と「対話力」が今の仕事の軸に

―谷元さんご自身を振り返って、大学時代に経験しておいたほうがいいことはありますか。
大学時代は胸を張って勉強しましたとは言えないのですが、今の仕事の糧(かて)になっているのはダンスサークルでの活動です。高校生活を過ごした米国ではダンスは文化の一つとして親しまれていました。それをきっかけに大学でダンスサークルに入り、部長を務めました。サークルを通じて130人ほどの部員をまとめて公演を開く「推進力」や「対話力」が身に付き、それらが今の仕事の軸になっています。

海外へのチャレンジの秘訣は、質問することを恐れないこと

―どんな人にチャレンジしてほしいですか。またどんなスキルが身に付きますか。
真摯にお客さまの声を聞く謙虚な人でしょうか。また、サーモフィッシャーはグローバル全体で10万人規模の会社なので、世界中の人とやり取りをします。知識に対する貪欲さがあり好奇心が旺盛な人であれば、新しいことをどんどん吸収しステップアップできる会社だと思います。

―日本の若い人の中には海外で働きたいけれども自信が持てないという人もいると思います。アドバイスがあればお願いします。
質問することを恐れないことだと思います。ビジネスは、コミュニケーションをとらないと始まらないので、とにかく聞くことや話すことを恐れないでほしいと伝えたいですね。複数の人が参加する会議の場でも1回はコメントするなど、自分の中で目標を設定するのもいいかもしれません。私もサーモフィッシャーで、新たなチャレンジができる若い人が増えるようサポートをしたいと思っています。